一皿目 『色水』
『色水』
アルバム『thirsty』の1曲目に収録されています。個人的に大好きな曲ですが、YouTubeでの再生回数も多いですね。サビの中毒性がやたら高いですね。イヤーワームに苦しみました。
色水について
辞書的な意味では、色をつけた水。まあ、そのまんまですね。
歌詞について
色水になってく甘い甘いそれは
君と僕の手の温度で思い出を彩ってく
何かしらによって「それ」が水(無色)から色のついた水に変化していったようですね。彩られた思い出≒色水だとすると、「それ」は「君」のいない思い出といったところが妥当ですかね。
寂しくはないけどちょっと切なくて
流し込んだ空の味
どういうわけか切なさを感じてしまったようです。その切なさを空を見て誤魔化したといったところでしょうか。
くるくると回る風車を君は弄んで
下駄のかかと鳴らしながら
「またね」って笑ったんだ
風車は、「君」に翻弄される「僕」ともとれますね。
「君」が「僕」と祭りのような催しに来ていて、別れを告げられた「僕」は切なさに空を見上げてしまうというシチュエーションが浮かび上がります。単なる別れではなさそうですね。
夏の終わりは通り雨の香
「喉が渇いたよ」
「君」との夏が終わり雨が降る。気候の乾きではなく、心の渇きを感じていますね。「またね」と言いつつも、もう会えないお別れの挨拶だったのでしょう。アルバム名の『thirsty』は「渇いた」という形容詞ですが「僕」の渇きはここから始まってしまったのでしょう。
生ぬるい風が吹いて夏は僕を笑った
茜色に溶け出した空は僕をみていた
自分が惨めに見えているのでしょう。なので、「僕」は主体ではなく客体。黄昏時に呆然としています。
飛行機雲が淡く線を引く
いつか忘れてしまうのかな
「僕」と「君」とを分かつ飛行機雲なのでしょうか。もしかしたらその飛行機に「君」が乗っているかもしれませんね。
忘れてしまうことを憂いている以上、もう再会することはないのでしょう。
写真に写る君の手の中で
風車は回り続けているのに
君が僕にくれたブルーハワイは
今、溶けはじめたんだ。
風車=「僕」という解釈を通せば、「君」にはまだ翻弄されている、まだ特別な感情を抱いているのでしょう。
そしてブルーハワイ???となりましたが、これは「君」との鮮やかで美しい思い出ですね。「それ」を今、色水に変えているのでしょう。
ん?そうすると「のに」という接続が不自然ですね…
難しいですが私は、「君」との思い出の尊さを今になって噛みしめていると考えました。
まとめ
夏の終わりに「君」と「僕」は別離。ずっと特別だった「君」との思い出の尊さに、今になって気づき噛みしめている。渇きを感じている。
みたいな解釈に帰結しました。うーん、切ないですね。